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土俵の女人禁制 政治的態度が異なるのは遺伝子のせいかも知れない

知性による人間社会の進歩を信じる立場に立つ人間としては、長く行われている伝統だからという理由で、それを今後も続けなければならないという主張に同意することは難しい。相撲の土俵が女人禁制であるという伝統についても、それは当てはまる。

 

自分の理解では、日本において霊山などが女人禁制とされたのは、女性が不浄な存在であると考えられたからというよりは、女性に対して男性が抱く劣情が修行の障害となると考えられたからだ。土俵がなぜ女人禁制とされてきたのかは諸説あるようだが、これから闘いに入る力士にとっても劣情は障害になり得るはずで、同様の理由からなのかもしれない。

より未開な社会では現在よりも、欲望をむき出しにした行動に対する社会の容認度合は高かったに違いない。こうした社会で日々生きる男性が理性で劣情を抑えるのを手助けするために、一定の場所で女性を遠ざける規則を作っておくことには意味があったのかも知れない。

 

しかし現代においてそのような規則が必要だろうか。女性が土俵に上がったことで、何か良からぬ影響を受ける力士がいるとは到底思われない。個人的にはこのような非合理的で前近代的な伝統などさっさとやめてしまえばよいと思う。

他方、伝統なのだから女人禁制を続けるべきだと主張する人達を、「道理を解さない蒙昧な人々」として切り捨てるような姿勢は好ましくないと感じる。というのも、伝統を重んじる人と進歩を信じる人の両方が存在するのは、人類の種としての生き残り戦略と関係があると考えるからだ。

 

例えば、古代のある地域に住んでいた人類が狩猟採集によって生活していたとする。その時火山噴火や洪水などの天変地異によって、周囲に生息していた動植物の多くが死んでしまい、食糧が十分手に入らなくなったとする。

その時、その場所にとどまり食糧資源の回復を待つのと、船で海に漕ぎ出して新天地を求めるのと2つの選択肢があったとする。その場にとどまった場合、資源がすぐに回復すれば良いが、しなければ絶滅してしまうかもしれない。一方船で漕ぎ出す場合、食べものがある新たな土地にたどりつければ良いが、遭難したら全員死んでしまう。

どちらの道が正しいかは事前にはわからない。人類の種としての生存確率を上げるには、出ていく人間ととどまる人間の両方がいたほうが良い。つまり、今までやってきたことをこれからも続けることを選好する保守的な人間と、新たな世界が開けることを信じて行動に出る革新的な人間の両方が必要となる。人類の遺伝子はその両方が存在するように設計されているのではないだろうか。

 

こうした考えは私個人の根拠なき妄想ではないと思う。数年前から人がどのような政治的態度を持つかは、その人の遺伝子が影響しているらしいという研究結果が複数発表されているからだ。

www.huffingtonpost.jp

 

また、別の研究によると、保守であるかリベラルであるかという政治的態度と、脳の特定部位の大きさの間には相関関係があるということが示されている。これも政治的態度が遺伝的な要素に影響されて決まっている可能性を示唆している。



monsieuryoshio.hatenablog.com

 

こうしたことを踏まえると、土俵の女人禁制のようにどう考えても合理的な理由が無さそうな規則でも「伝統だから守るべきだ」と考える人が多数存在するのは自然なことだと思えてくる。

政治的態度の違いがある程度遺伝子によるものであるという認識が今後広がっていけば、意見の違う人達に対する寛容な態度がより広まっていくのかもしれない。そうなれば、政治的意見を異にする相手をSNS上で悪しざまに罵倒しているような見目麗しく無い人達も自然と減っていくのかもしれない。

知性によってより進歩した社会を生きる未来の人達が今の状況を振り返った時、SNS上で罵詈雑言を書きたてているような人達は未開社会を生きる未開人として彼らの目に映るのかのもしれない。