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『タタール人の砂漠』感想・書評・レビュー ブッツァーティ作

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

 
士官学校を卒業したジョヴァンニ・ドローゴは最初の任地バスティアーニ砦に赴くべく生まれ育った町を出立した。何年も待ち焦がれた日、ほんとうの人生の始まる日だった。

砦は辺境の山の上にあり、北の国境を守るために古くに作られたものだ。はるか向こうに広がる砂漠からタタール人がいつの日か攻め入ってくるとされており、多くの将校と兵士が任務についていた。だが、実際のところはこれまで只の一度も砦が侵攻を受けたことはなかった。

未来に無限の可能性が広がっていると思える青年期にあるジョバンニ・ドローゴは、このような何も起こりそうもない砦を見て、あわてて他の任地への転出を願い出た。だが、転出の手続きが整うまでの4か月の間に何故か心変わりしてしまい、砦に残ると希望を翻してしまった。

砦の任務は毎日同じことの繰り返しだ。特別なことはほとんど何も起こらない。単調な生活に慣れきってしまい惰性の日々を送りつつも、ドローゴは心の中で常にかすかな希望を抱いていた。いつの日か敵が攻め入ってくるかもしれない。その時には将校として勇敢に闘い、名を上げて英雄になるのだと。こうした思いは、平穏な砦で形骸化した任務を日々続ける他の将校や兵士にとっても同じだった。だが一方で、誰もが判っていた。そのようなことはこの先きっと起こらない違いない。むしろ、何も起こらないと知っているからこそ、いつの日か特別なことが起こるはずだと夢想し続けることが必要なのだ。

 
4年後、ドローゴは休暇を取得し、生まれ故郷に帰ってみた。昔の友人たちは各々に仕事を持ち、軍人の自分とは異なる世界で活躍していた。彼らに会ってはみたものの、昔のように話が盛り上がることはなくなってしまっていた。それぞれに違う道を歩み始め、わずか4年でお互いにかけ離れた存在になってしまっていたのだ。恋仲になるかもしれなかった女性との会話も上手くかみ合わず、彼女に対しても心はときめかなくなってしまった。取り巻く環境と立場が変わって時が経ち、全てを共有し合っていたかに思えた人達とも心が通わなくなってしまっていることに気が付く。こうしてドローゴはひとりまたあの辺境の砦へと戻っていった。そして、かすかな希望を心に頂きながらも、日々はただ無為に過ぎ去り、季節は流れていく。気が付けば決して待ってくれることのない「時の遁走」の中で、多くのものを失っていた。

 
タタール人の砂漠』はイタリア人作家ブッツァーティによって書かれた小説だ。刊行はイタリアが第一次大戦に突入する直前の1940年だが、小説の時代は恐らく数百年前の中世だろう。「タタール人が攻めてくるかもしれない砦」という設定から、アジアに近いヨーロッパのどこかであると想像されるが、どの国が舞台なのかははっきりと分からない。遠い時代、所在不明のおぼろげな場所の物語にもかかわらず、青春時代を終えて「大人」になった者の多くは、ドローゴの生涯に自分の人生を重ねながらこの小説を読んでしまうに違いない。『タタール人の砂漠』が今なお名作として多くの人に読み継がれているのは、この物語の中に人の人生の中にある普遍的な何かが表現されているためだろう。
 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)