ぽかぽか

起業のコツ、投資の考え方、FIRE生活

『もっと言ってはいけない』橘玲著 を読んだ感想

もっと言ってはいけない(新潮新書)

もっと言ってはいけない(新潮新書)

 
もっと言ってはいけない (新潮新書)

もっと言ってはいけない (新潮新書)

 


あなたが生まれつき極めて知能の高い人だったとする。はじめから高度な数学が理解できたり、すぐれた読解力をたちどころに身につけてしまうような子どもだ。もし生まれた時代が石器時代だったら、おそらくあなたの知能はほとんど何の役にたたなかっただろう。そんなことより、獲物を狩ったり、敵を殺したりするために必要な身体能力のほうが重要だったはずだ。

 
もしあなたが生まれた時代が、農耕が始まって以降の時代だったら。それ以前よりは知能を役立てる機会が少し増えたかもしれない。支配層に近い一族に生まれていれば、能力を使って高い地位につけたかもしれない。だが、ほとんどの人は単なる農民の子だったのだから、高度な知能よりも農作業に必要な屈強な身体を備えた人のほうが重宝されただろう。

だが、産業革命以降の近代に生まれていたなら事情は大きく異なる。高い知能を持つ人ほどよりよい仕事を得て、より高い収入や地位を得られる社会が到来したからだ。こうした社会のことを「知識社会」と呼ぶ。とはいえ、産業革命以降もこれまでは「知識社会化」の進行はゆるやかなものだった。知能がそれほど高くない人でもできる仕事はたくさんあり、収入を得て人並に暮らすことは十分可能だった。これまでわれわれが生きてきたのはそういう社会だった。


だが近年、ICTやAIなどのテクノロジーの急速な進歩により、急激な勢いで知識社会化が進行しはじめている。高度化した知識社会では、高い知能を持つものほど社会的にも経済的にも大きな成功を手にするチャンスが増す一方、労働者が要求される知能のハードルは上がり、その変化に適応できずに脱落してく人の数も必然的に増える。われわれは知能の高低が人の人生をかつてないほど決定的に左右してしまう社会に史上はじめて突入しようとしているようだ。こうした流れは、格差と分断を生み、社会を不安定化させ始めている。本書の著者、橘玲は知識社会の高度化による社会の分断がトランプ政権誕生やブレグジット、ヨーロッパでの極右政党台頭の背景にあるとの見方をを示している。

テクノロジーの進歩速度が指数関数的に増していることを考えれば、知識社会化の潮流が引き起こす変化は、今後より一層激しいものとなっていくはずだ。今われわれは、個人としても社会としても この知識社会の急激な高度化にいかに対応していくべきかが問われ始めているのだと思う。であるならば、知能とはいったいどのようなものであるのかを理解することからはじめなければならない。知能を無視して知識社会を語ることはできないからだ。

著者は本書の冒頭でOECD主催の成人の能力に関する国際調査を紹介し、日本人の約3分の1、先進国の約半分の人はそもそも簡単な文章すら読む能力がないという驚くべきデータを提示する。その後、行動遺伝学、分子遺伝学、人類学、認知科学、脳科学などの研究成果を紐解きつつ、知能についての最新の知見を著者の考えを織り交ぜながら紹介していく。

 

 こうした話にこれまで馴染みのなかった人が本書を読めば、 書かれている内容に大きな衝撃を受けるかも知れない。あるいは、生得的な知能の差が社会格差に直結する近未来を想像して、不安な気持ちになるかも知れない。だが、そうした社会の変化への対応を考えるとき、私たちの知能とはどのようなものでるのかを知っているのと知らないのとでは大きな違いがあるはずだ。


知能の問題を語ろうとするとき、そこにはタブーが付きまとう。知能がかなりの程度で親から子に遺伝すること。教育によって知能の差を埋めることは多くの場合できないこと。民族や人種(大陸系)間で知能の大きな格差が厳然として存在すること。これらはたとえ正しかったとしても、不愉快で不都合で、時にひどく残酷なものだ。特に「リベラル」とされる人達にとって、これらは「言ってはいけないこと」であり「あってはならない」ものであった。実際に過去に「リベラル」とされる人々がこうした見方にどれほど頑強に抵抗してきかについても本書の中で紹介されている。

 

だが、そこから目をそむけて、この大きな社会変化の潮流に備えることができるだろうか。知能によって発生する格差を埋め、社会の分断化や不安定化を押しとどめるためには、社会の制度や構造を大きく変えることが不可欠であるように思える。そのためには、これまでタブーであったものをタブーとせず、直視しなければならない。だが、現状の世界を見る限りそうしたことはほとんど不可能に思われる。

 
社会がうまく変化に対応できるかできないかにかかわらず、われわれ個人は否が応でも対応を考えていかざるを得ない。相対的に知能が高く、今のところはうまくやっていると思っている人でも、テクノロジーの進化の速度を考えれば、この先どうなるかはわからない。

 本書後半では「自己家畜化」というキーワードのもとに、われわれ日本人がどのような遺伝的特徴をもっているのか、そうした遺伝的特徴はどのような経緯と要因によって形成されていったのかについての説明が提示される。この辺りの各記述に関してはアカデミック界隈の人達からすると異論の余地があるように思われるが、全体としては説得力が感じられる。高度化していく知識社会を前に、人生においてどのような選択を行っていくべきかを考えるうえで日本人にとって参考になり得る話だと思う。


著者はトランプ大統領の誕生を全く予想しておらず、2016年の大統領選挙の結果にはかなり驚いていたようだ。その点は私自身も全く同じだった。アメリカ大統領の選挙システムは比較的よくできており、予備選挙から本選に至る長い過程で、候補者は微に入り細に入り精査される。最終的には「まともな」人間しか大統領として当選できないようになっていると思っていた。


ゆえに、トランプは何かの「はずみ」で当選してしまっただけだと最近までは考えていた。「はずみ」というのは、短期間で普及したSNSの選挙戦への影響力が十分認識されていなかったとか、実際にその間隙に特定の勢力がつけ入ることに成功してしまったといったことだ。だから次回以降は「まともな」大統領に戻るはずだと。

だが、本書や著者の前著『朝日ぎらい よりよい世界のためのリペラル進化論 』を読んでいると、そうした考えは間違っているのかもしれないと思わされる。トランプのような大統領が知識社会の高度化によって生み出されたとしたならば、彼はこれまでとは全く違う新しい世界の序章における一人の登場人物に過ぎないのかもしれない。
 
どのような世界が来ようとも、いかにそれが好ましからざるものであっても、われわれは自分で自身の人生を選択していかなければならない。本書の最後の一文はこう締めくくられている。「もちろん、どのような人生を選ぼうとあなたの自由だ」

 

もっと言ってはいけない(新潮新書)

もっと言ってはいけない(新潮新書)

 
もっと言ってはいけない (新潮新書)

もっと言ってはいけない (新潮新書)

 
朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論 (朝日新書)

朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論 (朝日新書)

 

www.pokapokanahi.net