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『上級国民/下級国民』橘玲著の感想 (追記:東京大学での橘玲講演会エピソード)

 

上級国民/下級国民 (小学館新書)

上級国民/下級国民 (小学館新書)

 

  

2019年4月に東池袋で元官僚の高齢男性が起こした交通死亡事故をきっかけに「上級国民」という奇妙な言葉が広まった。「上級国民」と「下級国民」、「モテ」と「非モテ」、「リア充」と「非リア」。社会の分断を表現したネットスラングを今ではいたるところで目にする。私たちの多くが社会の分断と格差拡大を肌で感じていることの表れだろう。


本書は各種データや典拠をひもときながら社会の分断の姿を高い解像度で描き出すとともに、それらを引き起こしているものの正体を浮き彫りにし、人類史を俯瞰する高い視座から見据えたその重大な意味を読者の眼前に突き付けてみせる。

本書前半では平成時代に、終身雇用・年功序列を柱とする「日本型雇用」がいかに社会の分断を生み出し、日本を凋落せしめたかが示される。バブル崩壊後、社会が大きく揺らいた後も日本型雇用は維持され、「正社員」という既得権は守られてきた。これは、1970年代以降一貫して社会の中核を占めてきた団塊の世代が現役である間は、彼らの既得権を脅かす改革ができなかったからだと著者は分析する。その犠牲となったのが、労働市場から締め出され、フリーターや失業者の地位に追いやられた多くの若年層(特に男性)だった。日本型雇用の生み出した深刻な分断は時を経て、中高年のひきこもり増加や「8050問題」という社会問題としてその姿を現し始めている。

さらに、本書は「日本型雇用」が非効率なIT投資や、生産性の高い企業の海外流出の原因となって日本の凋落をもたらしたことも指摘する。IT革命の到来によってアメリカでは多くの業務がアウトソースされるようになり、生産活動が効率的な企業に集約されることで国全体の生産性が向上した。ところが、雇用維持が最優先される日本では社員の仕事を減らすアウトソースを行うことができず、IT革命の恩恵を十分生かすことができないでいる。また、労働組合が仕事内容や組織の変更に抵抗するため、日本の会社の情報システムは非効率で歪んだものになりがちであった。このため、金額的には日本でも十分なIT投資がなされたにもかかわらず、生産性は十分に向上してこなかった。

こうした分析を示したのち、本書は平成の時代は「団塊の世代の雇用(正社員の既得権)を守る」ための30年であったと総括する。団塊の世代が現役世代である平成時代には、雇用制度改革に手をつけることが政治的にできなかったからである。そうであるならば、団塊の世代が年金受給者となった令和の前半は「団塊の世代の年金を守る」ための20年になる以外にないと著者は「予言」する。

本書出版後に行われた参院選でも雇用制度・年金制度改革や世代間格差是正のための具体策を政策としてかかげる政党はみられず、マスメディアでもそうした点に焦点をあてた報道はほとんど見ない。冷静に社会を眺めている人達であればこの「予言」は的中すると考えざるを得ないであろう。こうした諦観は一部の人達の間では既に広がっており、私の観察する範囲内でも完全に政治に対する期待を失って、個人のサバイバルに関心を集中させる人が多いように思う。
 

本書後半は、先進国を中心に世界中で進行してる分断の姿に目を向け、人類史を俯瞰する高い視座まで読者を引き上げて、その変化の重大さを見せつける。

産業革命以降の技術発展は人類がかつて経験したことのない「豊かさ」をもたらした。人類史上、農業革命による人口増加を「人口の爆発」と呼ぶならば、産業革命による豊かさの増大は「ゆたかさの爆発」と呼ぶべき巨大な変化だ。「ゆたかさの爆発」はひとびとに初めて「自由」をもたらし、個人が人生を自ら選択して自己実現を目指す「リベラルな社会」が到来した。私たちがあたり前のものと考えているこうした社会は、産業革命による豊さの増大によって初めて可能になったものであり、それ以前にはあり得なかった「異常な体験」であることを本書は繰り返し強調する。このことのもつ意味を考えることが本書を読む上で最も重要なことのひとつであると思われる。


前近代の身分制度から個人が解き放たれ、自由が与えられたリベラルな社会は、当然の帰結として「自己責任」と「能力主義」の社会になる。同時に産業革命以降のテクノロジーの発達は「知識社会化」をもたらし、高い知能を持つ一部の者がより多くの富を得る一方、その影で変化から取り残され、置き去りにされるひとたちが生まれる。自己責任、能力主義の知識社会では「知能の高い人」は富と異性と名声を獲得し、「上級国民」として豊かな人生を送る一方、そうでない人は貧困にあえぎ、異性から見放され、「下級国民」として生きることを強いられる。

アメリカのトランプ現象、イギリスのブレクジット、フランスの黄色ベストデモなど、ポピュリズムの世界的な広がりは、こうした変化の潮流からとり残された「下級国民」による抵抗運動であると著者は言う。「嫌韓・反中」「日本人アイデンティティ主義」の広まる日本ももちろんこの流れの例外ではない。本書出版後の参院選でも、ポピュリズム政策を前面にかかげる「れいわ新選組」が議席を獲得し、直近のある世論調査では支持率4%台という数字を示している。


このような分断の流れを止めることは誰にもできない。なぜならこの流れは私たちが、より豊かに、より自由に、より幸福に生きたいという願望の中から生まれたものであり、その願望をだれも捨てようとはしないからだ。

では希望はどこにあるのだろうか?

著者はまえがきで「社会的には解決できない問題も、個人的に解決することは可能」であると書き、あとがきでは個人的解決方法の事例が2つヒントとして示されている。これが参考になるかどうかは読者次第だろうが、いずれにしてもこの問いへの答えは、本書で示されている分断のあり様とその意味を十分認識した上で、私たちひとりひとりがみずから見つけだす他ない。なぜなら、望むと望まざるとにかかわらず、私たちが生きているのは自己責任において個人が自由に生き、みずから幸福を追い求めることのできるゆたかな社会なのだから。

 

追記(東京大学での橘玲講演会エピソード)

本書は2019年4月19日に東京大学で行われた橘玲さんの講演がもとになっているそうですが、この講演会には私も足を運びました。講演会の後に懇親会があって他の橘玲ファンのひとたちとも話をすることができました。そのうち職業が分かった方が4名いましたが、2名が医師、1名が弁護士、あと1名は保険会社勤務で先日までニューヨークで働いていたという方でした。なんだか知識社会の分断の姿が凝縮されているような感じでした。

懇親会ではなんと橘さんご本人ともお話しをすることができました。まさかそんな機会があるとは思っておらず、準備もしてなかったのでこの貴重な機会にすごくアホな質問をしてしまいました。「もっと他にすべき質問があっただろう」と帰りの新幹線の中で自分のアホさ加減を呪い、自分を罰するためにブツブツ独りごとを言いながら京都駅に着くまでヤケ酒を飲んで好奇の視線にさらされていたような気がします。

経済合理的に行動するには「世の中がどのような仕組みでできているか」を知らなければいけないという視点から、幸せになるためには「人間自体がどのように設計されているのか」(進化論とか遺伝子とか)を知るべきだという視点に関心が移っていらっしゃる(ようにお見受けする)ことに関する質問をすべきでした。そのアプローチの先で個人は幸せを掴むことができるのでしょうか。恋愛工学のような享楽主義的人生観に堕してしまいかねないのではないのでしょうか。あるいは、逆に宗教信仰に立ち返ってしまう人が増えるのではないのでしょうか。そんな質問をすべきでした。なのに「タックスヘイヴンの映画化の話、どうなってんっすか???」などという中学生みたいな質問をしてしまいました。でも、そんな私のアホな質問にもすごく丁寧にお答え下さってとても感激しました。

   

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 こちらは映画化の話も出ているという小説です。超おもしろいので、おすすめです。

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