ぽかぽかと晴れた日に書きました

起業家・投資家。軽減税率は反対です。感想、書評、レビューほか。 @cocoopit_t   

『もっと言ってはいけない』橘玲著 を読んだ感想

もっと言ってはいけない(新潮新書)

もっと言ってはいけない(新潮新書)

 
もっと言ってはいけない (新潮新書)

もっと言ってはいけない (新潮新書)

 


あなたが生まれつき極めて知能の高い人だったとする。はじめから高度な数学が理解できたり、すぐれた読解力をたちどころに身につけてしまうような子どもだ。もし生まれた時代が石器時代だったら、おそらくあなたの知能はほとんど何の役にたたなかっただろう。そんなことより、獲物を狩ったり、敵を殺したりするために必要な身体能力のほうが重要だったはずだ。

 
もしあなたが生まれた時代が、農耕が始まって以降の時代だったら。それ以前よりは知能を役立てる機会が少し増えたかもしれない。支配層に近い一族に生まれていれば、能力を使って高い地位につけたかもしれない。だが、ほとんどの人は単なる農民の子だったのだから、高度な知能よりも農作業に必要な屈強な身体を備えた人のほうが重宝されただろう。

だが、産業革命以降の近代に生まれていたなら事情は大きく異なる。高い知能を持つ人ほどよりよい仕事を得て、より高い収入や地位を得られる社会が到来したからだ。こうした社会のことを「知識社会」と呼ぶ。とはいえ、産業革命以降もこれまでは「知識社会化」の進行はゆるやかなものだった。知能がそれほど高くない人でもできる仕事はたくさんあり、収入を得て人並に暮らすことは十分可能だった。これまでわれわれが生きてきたのはそういう社会だった。


だが近年、ICTやAIなどのテクノロジーの急速な進歩により、急激な勢いで知識社会化が進行しはじめている。高度化した知識社会では、高い知能を持つものほど社会的にも経済的にも大きな成功を手にするチャンスが増す一方、労働者が要求される知能のハードルは上がり、その変化に適応できずに脱落してく人の数も必然的に増える。われわれは知能の高低が人の人生をかつてないほど決定的に左右してしまう社会に史上はじめて突入しようとしているようだ。こうした流れは、格差と分断を生み、社会を不安定化させ始めている。本書の著者、橘玲は知識社会の高度化による社会の分断がトランプ政権誕生やブレグジット、ヨーロッパでの極右政党台頭の背景にあるとの見方をを示している。

テクノロジーの進歩速度が指数関数的に増していることを考えれば、知識社会化の潮流が引き起こす変化は、今後より一層激しいものとなっていくはずだ。今われわれは、個人としても社会としても この知識社会の急激な高度化にいかに対応していくべきかが問われ始めているのだと思う。であるならば、知能とはいったいどのようなものであるのかを理解することからはじめなければならない。知能を無視して知識社会を語ることはできないからだ。

著者は本書の冒頭でOECD主催の成人の能力に関する国際調査を紹介し、日本人の約3分の1、先進国の約半分の人はそもそも簡単な文章すら読む能力がないという驚くべきデータを提示する。その後、行動遺伝学、分子遺伝学、人類学、認知科学、脳科学などの研究成果を紐解きつつ、知能についての最新の知見を著者の考えを織り交ぜながら紹介していく。

 

 こうした話にこれまで馴染みのなかった人が本書を読めば、 書かれている内容に大きな衝撃を受けるかも知れない。あるいは、生得的な知能の差が社会格差に直結する近未来を想像して、不安な気持ちになるかも知れない。だが、そうした社会の変化への対応を考えるとき、私たちの知能とはどのようなものでるのかを知っているのと知らないのとでは大きな違いがあるはずだ。


知能の問題を語ろうとするとき、そこにはタブーが付きまとう。知能がかなりの程度で親から子に遺伝すること。教育によって知能の差を埋めることは多くの場合できないこと。民族や人種(大陸系)間で知能の大きな格差が厳然として存在すること。これらはたとえ正しかったとしても、不愉快で不都合で、時にひどく残酷なものだ。特に「リベラル」とされる人達にとって、これらは「言ってはいけないこと」であり「あってはならない」ものであった。実際に過去に「リベラル」とされる人々がこうした見方にどれほど頑強に抵抗してきかについても本書の中で紹介されている。

 

だが、そこから目をそむけて、この大きな社会変化の潮流に備えることができるだろうか。知能によって発生する格差を埋め、社会の分断化や不安定化を押しとどめるためには、社会の制度や構造を大きく変えることが不可欠であるように思える。そのためには、これまでタブーであったものをタブーとせず、直視しなければならない。だが、現状の世界を見る限りそうしたことはほとんど不可能に思われる。

 
社会がうまく変化に対応できるかできないかにかかわらず、われわれ個人は否が応でも対応を考えていかざるを得ない。相対的に知能が高く、今のところはうまくやっていると思っている人でも、テクノロジーの進化の速度を考えれば、この先どうなるかはわからない。

 本書後半では「自己家畜化」というキーワードのもとに、われわれ日本人がどのような遺伝的特徴をもっているのか、そうした遺伝的特徴はどのような経緯と要因によって形成されていったのかについての説明が提示される。この辺りの各記述に関してはアカデミック界隈の人達からすると異論の余地があるように思われるが、全体としては説得力が感じられる。高度化していく知識社会を前に、人生においてどのような選択を行っていくべきかを考えるうえで日本人にとって参考になり得る話だと思う。


著者はトランプ大統領の誕生を全く予想しておらず、2016年の大統領選挙の結果にはかなり驚いていたようだ。その点は私自身も全く同じだった。アメリカ大統領の選挙システムは比較的よくできており、予備選挙から本選に至る長い過程で、候補者は微に入り細に入り精査される。最終的には「まともな」人間しか大統領として当選できないようになっていると思っていた。


ゆえに、トランプは何かの「はずみ」で当選してしまっただけだと最近までは考えていた。「はずみ」というのは、短期間で普及したSNSの選挙戦への影響力が十分認識されていなかったとか、実際にその間隙に特定の勢力がつけ入ることに成功してしまったといったことだ。だから次回以降は「まともな」大統領に戻るはずだと。

だが、本書や著者の前著『朝日ぎらい よりよい世界のためのリペラル進化論 』を読んでいると、そうした考えは間違っているのかもしれないと思わされる。トランプのような大統領が知識社会の高度化によって生み出されたとしたならば、彼はこれまでとは全く違う新しい世界の序章における一人の登場人物に過ぎないのかもしれない。
 
どのような世界が来ようとも、いかにそれが好ましからざるものであっても、われわれは自分で自身の人生を選択していかなければならない。本書の最後の一文はこう締めくくられている。「もちろん、どのような人生を選ぼうとあなたの自由だ」

 

もっと言ってはいけない(新潮新書)

もっと言ってはいけない(新潮新書)

 
もっと言ってはいけない (新潮新書)

もっと言ってはいけない (新潮新書)

 
朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論 (朝日新書)

朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論 (朝日新書)

 

www.pokapokanahi.net

 

『一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学』cis を読んだ感想

元日にいきなりこの本が届いた。どうも年末に酔っぱらいながらスマホで何か読んでいたら、この本を誰かが推奨していたのでアマゾンで注文してしまっていたらしい。一気に読んでしまったが、株やFXのトレードで稼げないか考えている人にとっては得るものがとても大きい本だと思う。当然だが儲けられる手法が紹介されているわけではない。相場とはどのようなものなのか、その全体像に対する適切な見通しを持つ手助けを、この本の中に書かれていることがしてくれると思う。

 

一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学

一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学

 

 
著者のcis氏は株のトレードで230億円を稼いだらしく、僕は知らなかったがネットではかなり有名人のようだ。トレード手法は主として裁量のデイトレードが中心らしい。

本書冒頭は以下の文章から始まる。

子どものころから何も変わっていない気がする。その一方で、ずいぶん遠くまで来た気もする。子どもが3人もできて、普通に大人になった気もするし、まるで大人になっていない気もする。


230億円も稼いだのだから、彼は相当遠くまで来たはずだし、かなりの「大人」になったはずだ。一方で何も変わっていない気がするというのは、彼が子供のころから自身が最も得意とすることを追求し続けてきた結果がトレードでの成功であったからだろう。とても秀逸な書き出しで、大変重要なことを示唆している。

本書中、子供のころに駄菓子屋に置いてあったお菓子のくじ引を使って小遣いを稼いでいたエピソードが出てくる。30円で数字が書かれたクジを引き、一番の当たりがでたら200円分の買い物券がもらえるというものだ。ある時、彼はくじ引き2箱分を全部買って、どの数字が当たるようになっているかを調べたそうだ。そこから変換率や期待値を計算して大きく当たる確率の高い数字をつきとめ、実際に当たったら買い物券を友だちに売ってお金を稼いでいたそうだ。つまり、仕組みを観察してよく理解し、数学的に期待値の高い攻略法を考え、それを素早く実行する。生まれながらにして彼はそうしたことが得意だったし、何よりも大好きだったのだ。

しかしこれをトレードで行うのは当然ながら簡単なことではない。本書に書かれていることを丹念に読めば、いかに広範な情報をcis氏が効果的に頭の中で処理し、事前に用意されたシナリオを当てはめてトレードを実行しているのかが、朧げながらに理解できる。以前BNF氏(ジェイコム誤発注事件で有名になったトレーダー)が自分のトレード手法について語っているのを読んだことがあるが、相当広範な情報を頭の中で処理しているらしいということが読み取れた。その点では共通している。

トレードである程度資産ができてからは、cis氏は会社を作って大学時代の友人を5人を雇用し、給与を払いつつ、トレード手法を教授した上、1000万円の資金を与えてトレードさせるということもやっていたそうだ。これは伝説のトレーダー、リチャード・デニスと友人のウィリアム・エックハートによる「タートルズ」と同じ試みだ。そういえば、タートルズのリチャード・デニスもcis氏と同じトレンドフォローの手法だった。

 
タートルズについて知るにはこの本がお勧め:

伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術

伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術

 

 

cis氏はタートルズを育てたリチャード・デニスと同じように、自分が手法を伝授すれば友人たちも大きく儲けられるはずだと思っていたそうだ。ところが結果は全く違った。友人5人のうち、資金をトレードで増やすことができたのは一人だけ。しかも2年で1000万円が2400万円になっただけで、これはcis氏のパフォーマンスから考えると成功とは言えない。その他の4人のうち3人はややプラスかややマイナス、残りの1人は数百万円の損失を出したそうで、トータルではほぼ収益なしという完全な失敗だった。

トレンドフォローを教えても、実際に実行するには勇気が必要で、本能が妨げになってできないとcis氏は書いている。タートルズに関してリチャード・デニスも確か同じようなことを言っていたのを読んだことがある。


友人たちは全員cis氏の目から見て優秀な人達だったそうで、cis氏自身が直接やり方を伝授してもこの結果だったということがトレードの難しさを如実に表している。端的に言って、自分でトレードが相当得意で好きだという感覚が持てないない人は、相場における裁量トレードでお金が稼げるなどとゆめゆめ思うべきではないということだと思う。

僕が10年以上前に裁量トレードは諦めて、システムトレードに切り替えたのはそういう認識を持ったためだった。そして、僕も師匠をみつけて直接システムトレードの手法を教わることになったのだが、その話はまた別の機会に書きたいと思っている。

富というのは、人間が綱引きしている状態を数値化したものだと思う。激しいインフレが起きて円の価値が落ちない限り、自分の持っている資産は維持されると考えているなら、それは誤り。

たとえば仮想通貨などの新しい価値が生まれてくれば、自分の持っている資産は自然に薄まっていく。

本書後半に書かれていたこの部分はとても興味深い。この見方は正しくないと考える人は多いと思うが、cis氏がどのように富というものを捉えているかが垣間見えて興味深い。

新年に読むのに相応しい本であったかどうかは疑問だが、他にもcis氏の見方を知ることができる話が多数登場し、とても有益な本だと思う。トレードや投資に興味のある人には大変おすすめです。

 

一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学

一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学

 

 

 (追記)

つい10日ほど前に発売された本なのに、アマゾンではもう76件もレビューがついていて驚いた。トレードだけでなく書籍の売上も驚異的なものになっているらしい。「具体的な手法が書いてない」と不満げなレビューもあるようだが、そんなものが書かれているはずもなく、仮に書いてあったとしたらその手法はすぐに広まって使えなくなる。そのようなものを期待している時点で、トレーダーとし成功できる見込みは欠片もないと思う。もっと本質的なことを読み取ることができれば、間違いなく得るところが大きい一冊だと思う。

 

『タタール人の砂漠』感想・書評・レビュー ブッツァーティ作

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

 
士官学校を卒業したジョヴァンニ・ドローゴは最初の任地バスティアーニ砦に赴くべく生まれ育った町を出立した。何年も待ち焦がれた日、ほんとうの人生の始まる日だった。

砦は辺境の山の上にあり、北の国境を守るために古くに作られたものだ。はるか向こうに広がる砂漠からタタール人がいつの日か攻め入ってくるとされており、多くの将校と兵士が任務についていた。だが、実際のところはこれまで只の一度も砦が侵攻を受けたことはなかった。

未来に無限の可能性が広がっていると思える青年期にあるジョバンニ・ドローゴは、このような何も起こりそうもない砦を見て、あわてて他の任地への転出を願い出た。だが、転出の手続きが整うまでの4か月の間に何故か心変わりしてしまい、砦に残ると希望を翻してしまった。

砦の任務は毎日同じことの繰り返しだ。特別なことはほとんど何も起こらない。単調な生活に慣れきってしまい惰性の日々を送りつつも、ドローゴは心の中で常にかすかな希望を抱いていた。いつの日か敵が攻め入ってくるかもしれない。その時には将校として勇敢に闘い、名を上げて英雄になるのだと。こうした思いは、平穏な砦で形骸化した任務を日々続ける他の将校や兵士にとっても同じだった。だが一方で、誰もが判っていた。そのようなことはこの先きっと起こらない違いない。むしろ、何も起こらないと知っているからこそ、いつの日か特別なことが起こるはずだと夢想し続けることが必要なのだ。

 
4年後、ドローゴは休暇を取得し、生まれ故郷に帰ってみた。昔の友人たちは各々に仕事を持ち、軍人の自分とは異なる世界で活躍していた。彼らに会ってはみたものの、昔のように話が盛り上がることはなくなってしまっていた。それぞれに違う道を歩み始め、わずか4年でお互いにかけ離れた存在になってしまっていたのだ。恋仲になるかもしれなかった女性との会話も上手くかみ合わず、彼女に対しても心はときめかなくなってしまった。取り巻く環境と立場が変わって時が経ち、全てを共有し合っていたかに思えた人達とも心が通わなくなってしまっていることに気が付く。こうしてドローゴはひとりまたあの辺境の砦へと戻っていった。そして、かすかな希望を心に頂きながらも、日々はただ無為に過ぎ去り、季節は流れていく。気が付けば決して待ってくれることのない「時の遁走」の中で、多くのものを失っていた。

 
タタール人の砂漠』はイタリア人作家ブッツァーティによって書かれた小説だ。刊行はイタリアが第一次大戦に突入する直前の1940年だが、小説の時代は恐らく数百年前の中世だろう。「タタール人が攻めてくるかもしれない砦」という設定から、アジアに近いヨーロッパのどこかであると想像されるが、どの国が舞台なのかははっきりと分からない。遠い時代、所在不明のおぼろげな場所の物語にもかかわらず、青春時代を終えて「大人」になった者の多くは、ドローゴの生涯に自分の人生を重ねながらこの小説を読んでしまうに違いない。『タタール人の砂漠』が今なお名作として多くの人に読み継がれているのは、この物語の中に人の人生の中にある普遍的な何かが表現されているためだろう。
 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

 

『朝日ぎらい』よりよい世界のためのリベラル進化論 橘玲 を読んだ感想

朝日新聞が批判を続ける安倍政権や自民党に対する支持率は、いずれの世論調査を見ても一貫して若い世代ほど高い。SEALDsなどごく一部の層を除き、朝日新聞の主張は若者の心に一向に響いていないように見える。他方、書店には「朝日新聞批判」をテーマとした書籍や雑誌が並び、ネット上ではいわゆるネトウヨによる「反日朝日」への感情的なバッシングが日々行われている。日本におけるこうした「朝日ぎらい」とも呼べる現象は一体何によってもたらされたのだろか。


「文筆家の仕事は、他人がいわない主張を紹介し、言論空間にゆたかな多様性を生み出すことだ」と述べる著者は、朝日新聞の個々の報道・論説への批判に立ち入ることはしない。本書の出色の独創性は「朝日ぎらい」という現象の分析を通じて、この数十年間で大きな変化を遂げてきた世界の新しいあり様を克明に浮かび上がらせ、その姿を読者の目の前に提示して見せようとするところだと思う。

 

変化のただ中にいる者は往々にして、何がどのように変化し、その変化が何によってもたらされているのかを認識するのが難しい。著者は「朝日ぎらい」の背景にある事象を様々な典拠を示しながら分析していくことによって、読者を高い視座に引き上げ、「リベラル化」と「アイデンディティ化」の潮流によって変容が進む世界に対する見晴しを与えてくれる。

 

「リベラル化」「アイデンディティ化」の2つの潮流を引き起こしている要因は複数示されているが、中でも最大のものはテクノロジーの急速な進歩を背景とした「知識社会化」の進行だろう。AIやITCなどをはじめとする最新テクノロジーを用いる事業においては、高い知能を持つ優秀な人材にしか価値を生み出すことができない。おのずと人材獲得競争は激しいものになり、企業には国籍や人種、性別、宗教、年齢、性的指向などで社員を差別する余地などなくなってしまう。こうして「知識社会化」は、必然的に「リベラル化」「グローバル化」につながり、これらが三位一体となって同時進行していく。

他方、「知識社会化」は仕事に必要とされる知能のハードルが上がるということであり、そこから脱落するひとが増えるのは避けられない。結果、変化から取り残され、見捨てられつつある層の怒りが社会の保守化=右傾化を招き、「アイデンティテイを傷つけられた」と感じる人々の感情が、米国ではトランプの、フランスではルペンの支持拡大につながっていく。日本における「嫌韓」「反中」「朝日ぎらい」のネトウヨの台頭にも同様の背景があると著書は分析する。(*追記2)


本書後半では「リベラリズム」「リバタリアニズム」「共同体主義」といった政治思想が進化の過程で培われた人の「正義感覚」を土台としていることを、チンパンジーを使った実験などを紐解きながら説明していく。そこから更に踏み込んで、保守・リベラルの政治態度がどのような要因によって決定されるのかについての最新のアカデミズムの研究を紹介する。この部分はまだ仮説の段階であり、研究者の間でも異論があるに違いないが、非常に乱暴に要約すれば「政治志向は知能の低い人ほど保守になりがちで、知能の高い人ほどリベラルになりがちである。知能が高い確率で親から子へ遺伝するように、政治志向もまたかなりの程度親から子へ遺伝する可能性がある。そしてリベラルな人ほど経済的に成功し豊かになる傾向がある」ということで、これはある意味「不都合」で身も蓋もない話だ。現にワシントン、ニューヨーク、シリコンバレー、ボストン等に集まる世界でも最も豊かな層を調査すると、その多くがリベラルな政治志向を持っていることが分かる。

リベラル化の潮流によって変容が進む世界の中で、朝日新聞をはじめとする日本の「リベラル」のあり様はどうであろうか。 グローバル・スタンダードのリベラルはすべてのひとが自分の可能性を最大化できる社会を理想とし、より良い世界、より良い未来への進歩を目指すものだ。にもかかわらず、日本の「リベラル」は憲法問題にせよ、日本を「身分制社会」たらしめている日本的雇用にせよ、さらには築地市場に至るまで、頑強に現状の変更に反対し、既得権益層を守ろうとする守旧派に堕していると著者は厳しく批判する。さらに「あとがき」では、本来のリベラルのあるべき姿を一つ一つ描写し、それを鏡とすることで朝日新聞社ダブルスタンダードにまみれた姿を静かに映し出して見せる。

 

 橘玲氏は近年「日本は先進国の皮をかぶった前近代的身分制社会」であると繰り返し述べている。「前近代的な」という言葉は、身分差別(正規・非正規の差別、性差別、年齢差別など)の存在そのもののみならず、近代社会ではあり得ない身分差別の存在を当たり前のように受け入れ、当然持つべき疑問や憤りを持つことができないままでいる多くの日本人の意識に対しても向けられているものであろう。


その意味では、自らの「ダブルスタンダード」を顧みず、「リベラル」を自称しながら本来のリベラルにはありえない主張を行っていることに対して疑問も矛盾も感じていないかのような大手新聞社の存在もまた日本の「前近代性」の表れと言えるのではないだろうか。

 
「朝日ぎらい」というタイトルもあって、本書はこれまでの橘氏の著書とは異なる読者層を獲得するのではないかと思われる。以前の橘氏の著書はどことなく「届く人にだけに届けばいい」といった空気感の中で書かれていたものが多かったような気がする。

昨年出版の「専業主婦は2億円損をする」もそうだが、ここ数年の橘氏は、これまでの読者層とは異なるより広い層に届けるべき声を届けていこうと試みているのかもしれない。本書はできるだけ多くの人に読まれて欲しい。そして、我々がいまだ「前近代的身分制社会」に生きていることにより多くの人が気づき、その前近代性が少しずつでも解消されていってくれればと思う。

 

 

【追記1】発売直後、タイトルだけを見て「朝日擁護本」と勘違いしたとおぼしきネトウヨ達が、読んでもいないのにアマゾン内で星1つの低評価レビューを投稿するという事態が起こった。著者は困惑していたようだが、逆に本書内に書かれていることの正しさを示しているようで興味深かった。星1つのレビューを読んでから、本書を読むとある意味より面白くなるかも知れない。

 

【追記2】本書内でも引用されている社会学者樋口直人氏は、ネトウヨの中には大学生やホワイトカラーが多いと述べているが、これは聞き取り調査ができた34名という少ないサンプル数に依拠した見方であるため、橘氏はあまり重視していないようだ。困窮する米国ラストベルトの労働者や、絶望死が増加しているという低学歴白人層の姿と日本のネトウヨには乖離があるかもしれず、両者を重ねることについては異論があるかもしれない。



【備忘録】世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事 津川友介 

 

科学的な見地から本当に健康に良いことが証明されている食品とはどのようなかを分かりやすく紹介している。多くの情報が氾濫する中、信頼できる情報を見極めるのは一般の人間にとって簡単ではないが、本書は良い指針となると思われる(数時間で読める内容)。特に糖質制限を実践している人にとっては、大事なことが書かれている。

  

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

 

 

本書で言う「健康に良い食品」とは、脳卒中心筋梗塞、がん、糖尿病などを発症するリスクを下げる食品のことを指す。逆に「健康に悪い食品」はそうしたリスクを高める食品のことを意味する。


以下は単なる個人的備忘のための要約。本書内ではエビデンスの紹介(エビデンスの強弱も示されている)も含めて解説 がされているので、興味のある人は読まれることを強くお勧めします。

 

▼健康に良いと科学的に証明されている食品

  1. 魚 
  2. 野菜と果物(果実ジュース、じゃがいもは含まない)
  3. 茶色い炭水化物(玄米、蕎麦、全粒粉のパン)
  4. オリーブオイル
  5. ナッツ類

▼健康によい可能性が示唆されている食品  

  1. ダークチョコレート(砂糖入りは不可)
  2. コーヒー
  3. 納豆
  4. ヨーグルト
  5. 豆乳
  6. お茶

 

 ▼健康に悪いと科学的に証明されている食品 

  1. 赤い肉(牛肉、豚肉のこと。鶏肉は含まない。ハム、ソーセージなど加工肉は特に悪い)
  2. 白い淡水化物(白米、うどん、パスタ、白いパン、じゃがいも、ラーメン)
  3. バターなどの飽和脂肪酸

 

 ▼健康に悪い可能性が示唆されている食品 

  1. マヨネーズ
  2. マーガリン

 

糖質制限、炭水化物について 

  1. 炭水化物の全てが悪いのではない。「健康に良い炭水化物(茶色い炭水化物)」と「健康に悪い炭水化物(白い炭水化物)」がある。前者は積極的に摂取すべき、後者は摂取すべきではない。

  2. 「茶色い炭水化物」は食物繊維が多く、「白い炭水化物」は少ない。極限まで食物繊維を減らしたものが砂糖などの糖。白い炭水化物は砂糖に近く、体内で糖になるので本質的に砂糖と同じ。

  3. 糖質のかわりに肉はいくらでも食べて良いと主張する医者のアドバイスは聞くべきではない。明らかに間違っている。(牛肉、豚肉、加工肉は摂取すべきでない)

  4. 白米は食べれば食べるほど糖尿病のリスクが高まる。白米は全く食べないのが理想。(ただし、ガンのリスクと白米は無関係)

 

▼その他

  1. 日本食が健康に良いというのは誤ったイメージ。塩分、糖質が多い点で健康に良くない。健康に良い食品と言えるのは「地中海食」

  2. 塩分摂取量は減らすべき。血圧を上げ、脳卒中心筋梗塞のリスクを高める。
      
  3. ハム、ソーセージ、ベーコンなど加工肉は非常に悪い。大腸がん、脳卒中心筋梗塞のリスクを上げる。
     
  4. 卵は1日6個までとする。(糖尿病、心不全のリスクが上がる)

  5. 大人は乳製品は控えめにすること。過剰摂取は前立腺がん、卵巣がんのリスクが高まる。

  6. 果実ジュースは糖尿病のリスクを上げる。果物事体を食べることはリスクを下げる。健康の観点から両者は全く異なる。

  7. 野菜ジュースについては、明確な研究はないが果実ジュースと同様と考えられるので、ジュースではなく野菜そのものを食べるべき。


▼疑問点

本書では、がん、脳卒中心筋梗塞、糖尿病のリスクを下げる食品を良い食品としているようである。確かにこれらの疾病は日本人の死亡原因の半数を占めている。糖尿病に関しては、認知症心筋梗塞などのリスクを高める非常に怖い病気である。一方で、これらに該当しない病気については、本書の範囲内では無視されているのかもしれない。

 

SHOE DOG 靴に全てを フィル・ナイト Phil Knight

 

1962年、24歳のフィル・ナイトは父の資金援助を得てオレゴン州から世界を巡る旅に出発した。自分の人生を人とは違う特別なものにしたいと強く願った青年の最大の目的地は日本だった。

 

スタンフォード大学院生だった2年前、ナイトはドイツの独壇場だったカメラ市場に日本企業が参入し、成功し始めていることに着目した。陸上選手でもあったナイトは、日本のランニングシューズにも同様の将来性があるのではないかと感じ、その輸入ビジネスの可能性についてレポートにまとめていた。日本への旅はその可能性を自らの手で実現するための第一歩だった。

旅の計画を聞いたナイトの祖母は猛反対した。世界を征服しようとした野蛮で残忍な日本人の国へ行くなどとんでもない。捕えられて収容所に送られ、目をくり抜かれるに違いないと。終戦からまだ17年、人々の心に戦争の影がまだ色濃く残っていた。ナイト自身も初めて飛行機に乗った5歳のとき、父に尋ねた記憶があった。

「パパ、日本のゼロ戦に撃ち落とされないかな」
 

ハワイを経て羽田に降り立ったナイトは、列車で西へと向かった。車内のあまりの汚さに驚きながらも神戸に到着し、オニツカという会社を訪問した。居並ぶ幹部社員を前に、ナイトは オニツカ製のシューズの輸入販売をさせて欲しいと申し出た。

「ミスター・ナイト、あなたは何という会社にお勤めですか」

こう聞かれたナイトは答えた。

「私はオレゴン州ポートランドブルーリボン・スポーツの代表です」

自宅の部屋に飾っていた陸上競技のトロフィーに付けられていた青いリボンから咄嗟に思いついた名前だった。帰国したナイトは、実際にブルーリボン・スポーツという名前で会社を設立し、オニツカのランニングシューズをアメリカで販売し始めた。

海外メーカーの販売代理店という立場は非常に不安定で微妙なものだ。ブルーリボンは地道な努力で売り上げを伸ばしていったにも関わらず、オニツカとの関係は必ずしも良好ではなかった。ナイトのことを個人的にあまり評価していなかったと思われるキタミが昇進し、オニツカ内で力を持つようになってからは、さらに関係が悪化していった。キタミはブルーリボンの売上に対する不満を隠さなかった。

やがて、オニツカがブルーリボンと手を切り、他の会社に乗り換える検討をしているらしいとの情報が舞い込んだ。ナイトは狼狽した。キタミが訪米し、オフィスを訪問した際には、隙を見て彼のカバンをあさり、書類を盗むという挙に出たほどだった。ブルーリボン社訪問後にどの会社を訪れることになっているのか、情報を探ろうとしたのだ。

その後、懸念していた通り、オニツカはナイトに取引終了を通告してきた。のみならず、契約違反で訴訟を起こすとまで言ってきた。ナイト以下、ブルーリボン社の社員は絶望的な事態に打ちひしがれた。だがナイトはすぐさま自分を鼓舞し、30人の社員の前で宣言する。これは危機ではなく解放であり、我々の独立記念日であると。これからは誰かのために働くのではない。自分達のブランドで勝負するのだ。 そのブランドの名は「ナイキ」だった。

その後ナイキは世界最大のスポーツ用品ブランドとなる。現在、ナイキの売り上げは「アシックス」と名前を変えたオニツカの8倍以上だ。


SHOE DOG 靴にすべてを。』はナイキの創業者フィル・ナイトが70歳代後半になってから人生を振り返り、書き起こした自伝だ。

  

SHOE DOG(シュードッグ)

SHOE DOG(シュードッグ)

 

 
1962年に日本を訪問したナイトがナイキ会長職を辞したのは2016年のことだった。ナイトの職業人生は54年の長きに渡る。そのうちオニツカの代理店の地位にあったのは最初の10年のみだ。にもかかわらず、500ページあまりの本書の半分以上が、オニツカ(現アシックス)の代理店時代のことで占められている。
 
*

 

ナイキの創業者に自分をなぞらえるのはどうかと思うが、私が最初に手掛けた事業も、ナイトと同じように海外のある会社から商品を輸入して販売するというものだった。だから、代理店時代にナイトが心に抱いた苦悩と不安がどのようなものであったかは容易に想像できる。

販売代理店は、自社のパフォーマンスの素晴らしさを輸入先の会社に納得させ続けなければならない。さもなくば、いつ商品の供給を止められてビジネスが終わってしまうかわからない。なぜなら彼らは常に考えいてるはずだからだ。日本で自分たちの商品をもっと沢山売ってくれる会社が他にあるかもしれないと。

創業から売上は順調に伸びていった。だが、それ故にどこかの大きな企業が商品に目をつけ、輸入先に販売権の取得交渉を試みるかもしれない。もしかしたら、もう既にそうした交渉が始まっているかもしれない。あるいは明日にでも取引終了の通告が送られてきて、今まで築いてきたものが無に帰す絶望的な事態になるかもしれない。来る日も来る日も心のどこかでこうした心配をしていたので、いくら売上が伸びていても内心は苦しかった。

ナイトと同じように、商品の品質問題にも度々悩まされた。だが、こちら側の立場は常に弱く、問題解決を試みても、徒労感を伴うコニュニケーションの中で神経をすり減らすことが多かった。

こうした不安定な立場を解消し、ビジネスを長期に渡って継続できるものとするため、輸入先との関係をより強固にする契約の締結をもちかけた。だが、交渉はうまくいかなかった。そればかりか、交渉の過程で嘘や不誠実を見せつけられ、果たしてこの会社と長年付き合っていこうとうする自分の考えが正しいのか疑問が芽生え始めた。そして、一つの考えにたどりついた。他人の商品に依存していてはだめだ。例えどんなに難しくても、自分の手で市場に受け入れられる商品を生み出し、それによって勝負する以外に生き残っていく道はない。ナイトのように宣言を聞かせる30人の社員はいなかったが、心の中で固く決意した。

 

起業して以来、ずっと心の中で繰り返し自身に問うてきた問いがある。

成功する者と失敗する者、両者を分つものは何なのだろうか。答えは単純ではない。それは複数の要素から成り立っている。だが中でも最も重要なものは、自分は何としても成功したい、あるいは成功しなければらないという信念だ。それがなければ短期的にはうまくいっても、長く成功し続けることはできない。これは根拠なき精神論ではなく自然界における普遍の法則だ。故に起業家は絶えず自分に問い続けなければならない。自分が事業をやる理由とは一体何なのかと。

 フィル・ナイトの場合それは何であったのか。『SHOE DOG 靴にすべてを。』には、全編を通じてそれが写し出されている。それは本書で描かれた物語の根底を貫くものであり、それこそがナイトの人生そのものなのだろう。

 

 

 

土俵の女人禁制 備忘のための追記

備忘のための追記:

cocoopit-2.hatenablog.com


この記事を書いたのは、舞鶴市であいさつ中に土俵上で倒れた市長の救命にあたった女性に、若手行事が土俵から降りるように促すアナウンスを繰り返した事件があったからだ。

 

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市長は後にくも膜下出血であったことが分かった。また、女性は市長が理事をしていた病院に勤めていた看護師だったらしい。

 

意識を失って痙攣している市長に心臓マッサージを施している女性に対して、土俵から降りるように繰り返しアナウンスが流れる映像は大変ショッキングだった。

 

この事件を通しては、上位の者やルールに従順に従うことが良いとされる所謂体育会系の価値観が、若手行事を思考停止に陥らせたのではないかという別の問題も見えてくる。一刻も早く女性を土俵から降ろさないと、後で上司に厳しく叱られると恐れたのかもしれない。

 

日本の教育は戦前は従順な兵士を、戦後は従順な企業戦士(別名社畜)を育てるように最適化されてきた側面がある。所謂「体育会系」という世界はその最たるものだ。日本では今でも「組み体操はかけがえのない教育活動」などと発言をする政治家がいて、それが一定の支持を受けてしまう。戦後70年以上、バブル崩壊後30年近くが経過し、インターネットができて世界は大きく変わっているのに、日本の教育は本質的には何も変わっていないんだろう。