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『上級国民/下級国民』橘玲著の感想 (追記:東京大学での橘玲講演会エピソード)

 

上級国民/下級国民 (小学館新書)

上級国民/下級国民 (小学館新書)

 

  

2019年4月に東池袋で元官僚の高齢男性が起こした交通死亡事故をきっかけに「上級国民」という奇妙な言葉が広まった。「上級国民」と「下級国民」、「モテ」と「非モテ」、「リア充」と「非リア」。社会の分断を表現したネットスラングを今ではいたるところで目にする。私たちの多くが社会の分断と格差拡大を肌で感じていることの表れだろう。


本書は各種データや典拠をひもときながら社会の分断の姿を高い解像度で描き出すとともに、それらを引き起こしているものの正体を浮き彫りにし、人類史を俯瞰する高い視座から見据えたその重大な意味を読者の眼前に突き付けてみせる。

本書前半では平成時代に、終身雇用・年功序列を柱とする「日本型雇用」がいかに社会の分断を生み出し、日本を凋落せしめたかが示される。バブル崩壊後、社会が大きく揺らいた後も日本型雇用は維持され、「正社員」という既得権は守られてきた。これは、1970年代以降一貫して社会の中核を占めてきた団塊の世代が現役である間は、彼らの既得権を脅かす改革ができなかったからだと著者は分析する。その犠牲となったのが、労働市場から締め出され、フリーターや失業者の地位に追いやられた多くの若年層(特に男性)だった。日本型雇用の生み出した深刻な分断は時を経て、中高年のひきこもり増加や「8050問題」という社会問題としてその姿を現し始めている。

さらに、本書は「日本型雇用」が非効率なIT投資や、生産性の高い企業の海外流出の原因となって日本の凋落をもたらしたことも指摘する。IT革命の到来によってアメリカでは多くの業務がアウトソースされるようになり、生産活動が効率的な企業に集約されることで国全体の生産性が向上した。ところが、雇用維持が最優先される日本では社員の仕事を減らすアウトソースを行うことができず、IT革命の恩恵を十分生かすことができないでいる。また、労働組合が仕事内容や組織の変更に抵抗するため、日本の会社の情報システムは非効率で歪んだものになりがちであった。このため、金額的には日本でも十分なIT投資がなされたにもかかわらず、生産性は十分に向上してこなかった。

こうした分析を示したのち、本書は平成の時代は「団塊の世代の雇用(正社員の既得権)を守る」ための30年であったと総括する。団塊の世代が現役世代である平成時代には、雇用制度改革に手をつけることが政治的にできなかったからである。そうであるならば、団塊の世代が年金受給者となった令和の前半は「団塊の世代の年金を守る」ための20年になる以外にないと著者は「予言」する。

本書出版後に行われた参院選でも雇用制度・年金制度改革や世代間格差是正のための具体策を政策としてかかげる政党はみられず、マスメディアでもそうした点に焦点をあてた報道はほとんど見ない。冷静に社会を眺めている人達であればこの「予言」は的中すると考えざるを得ないであろう。こうした諦観は一部の人達の間では既に広がっており、私の観察する範囲内でも完全に政治に対する期待を失って、個人のサバイバルに関心を集中させる人が多いように思う。
 

本書後半は、先進国を中心に世界中で進行してる分断の姿に目を向け、人類史を俯瞰する高い視座まで読者を引き上げて、その変化の重大さを見せつける。

産業革命以降の技術発展は人類がかつて経験したことのない「豊かさ」をもたらした。人類史上、農業革命による人口増加を「人口の爆発」と呼ぶならば、産業革命による豊かさの増大は「ゆたかさの爆発」と呼ぶべき巨大な変化だ。「ゆたかさの爆発」はひとびとに初めて「自由」をもたらし、個人が人生を自ら選択して自己実現を目指す「リベラルな社会」が到来した。私たちがあたり前のものと考えているこうした社会は、産業革命による豊さの増大によって初めて可能になったものであり、それ以前にはあり得なかった「異常な体験」であることを本書は繰り返し強調する。このことのもつ意味を考えることが本書を読む上で最も重要なことのひとつであると思われる。


前近代の身分制度から個人が解き放たれ、自由が与えられたリベラルな社会は、当然の帰結として「自己責任」と「能力主義」の社会になる。同時に産業革命以降のテクノロジーの発達は「知識社会化」をもたらし、高い知能を持つ一部の者がより多くの富を得る一方、その影で変化から取り残され、置き去りにされるひとたちが生まれる。自己責任、能力主義の知識社会では「知能の高い人」は富と異性と名声を獲得し、「上級国民」として豊かな人生を送る一方、そうでない人は貧困にあえぎ、異性から見放され、「下級国民」として生きることを強いられる。

アメリカのトランプ現象、イギリスのブレクジット、フランスの黄色ベストデモなど、ポピュリズムの世界的な広がりは、こうした変化の潮流からとり残された「下級国民」による抵抗運動であると著者は言う。「嫌韓・反中」「日本人アイデンティティ主義」の広まる日本ももちろんこの流れの例外ではない。本書出版後の参院選でも、ポピュリズム政策を前面にかかげる「れいわ新選組」が議席を獲得し、直近のある世論調査では支持率4%台という数字を示している。


このような分断の流れを止めることは誰にもできない。なぜならこの流れは私たちが、より豊かに、より自由に、より幸福に生きたいという願望の中から生まれたものであり、その願望をだれも捨てようとはしないからだ。

では希望はどこにあるのだろうか?

著者はまえがきで「社会的には解決できない問題も、個人的に解決することは可能」であると書き、あとがきでは個人的解決方法の事例が2つヒントとして示されている。これが参考になるかどうかは読者次第だろうが、いずれにしてもこの問いへの答えは、本書で示されている分断のあり様とその意味を十分認識した上で、私たちひとりひとりがみずから見つけだす他ない。なぜなら、望むと望まざるとにかかわらず、私たちが生きているのは自己責任において個人が自由に生き、みずから幸福を追い求めることのできるゆたかな社会なのだから。

 

追記(東京大学での橘玲講演会エピソード)

本書は2019年4月19日に東京大学で行われた橘玲さんの講演がもとになっているそうですが、この講演会には私も足を運びました。講演会の後に懇親会があって他の橘玲ファンのひとたちとも話をすることができました。そのうち職業が分かった方が4名いましたが、2名が医師、1名が弁護士、あと1名は保険会社勤務で先日までニューヨークで働いていたという方でした。なんだか知識社会の分断の姿が凝縮されているような感じでした。

懇親会ではなんと橘さんご本人ともお話しをすることができました。まさかそんな機会があるとは思っておらず、準備もしてなかったのでこの貴重な機会にすごくアホな質問をしてしまいました。「もっと他にすべき質問があっただろう」と帰りの新幹線の中で自分のアホさ加減を呪い、自分を罰するためにブツブツ独りごとを言いながら京都駅に着くまでヤケ酒を飲んで好奇の視線にさらされていたような気がします。

経済合理的に行動するには「世の中がどのような仕組みでできているか」を知らなければいけないという視点から、幸せになるためには「人間自体がどのように設計されているのか」(進化論とか遺伝子とか)を知るべきだという視点に関心が移っていらっしゃる(ようにお見受けする)ことに関する質問をすべきでした。そのアプローチの先で個人は幸せを掴むことができるのでしょうか。恋愛工学のような享楽主義的人生観に堕してしまいかねないのではないのでしょうか。あるいは、逆に宗教信仰に立ち返ってしまう人が増えるのではないのでしょうか。そんな質問をすべきでした。なのに「タックスヘイヴンの映画化の話、どうなってんっすか???」などという中学生みたいな質問をしてしまいました。でも、そんな私のアホな質問にもすごく丁寧にお答え下さってとても感激しました。

   

上級国民/下級国民(小学館新書)

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上級国民/下級国民(小学館新書)

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 こちらは映画化の話も出ているという小説です。超おもしろいので、おすすめです。

タックスへイヴン Tax Haven (幻冬舎文庫)

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倒壊する巨塔 -アルカイダと「9・11」への道  ~なぜ9・11は起こったのか?~


『倒壊する巨塔 - アルカイダと9・11への道』ー なぜあのテロは起こったのか?


複数のジャンボジェット機を同時にハイジャックし、アメリカ中枢部の建物に突っ込む。世界中を震撼させた2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ。狂気の沙汰を目の当たりにした誰もが考えたはずです。一体なぜあのようなテロが起こったのか。


倒壊する巨塔 - アルカイダと「9.11」への道』 は9.11アメリカ同時多発テロ事件に至る長い道のりを、関係者への綿密な取材と膨大な資料の分析によって、丹念に描き出すことを試みた大作です。著者のローレンスライトは、ウサマ・ビンラディンを始めとするイスラム過激派活動家とアメリカ捜査当局者の辿った軌跡を克明で詳細な描写によって浮かび上がらせることに見事に成功しています。よくここまでの取材ができたものだと驚きを禁じ得ません。本書はピューリッツアー賞を受賞しています。

倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道

倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道

 


もちろん、テロに至る過程を詳細に知ったからといって、なぜあのテロが起こったのかという重い問いへの答えが簡単に理解可能な形で見つかるわけはありません。それでもなお、どのような時の流れの中でアルカイダという組織が生まれ、9.11のテロ攻撃を引き起こすに至ったのか、その背景を知ることは止むことのないイスラム原理主義者によるテロ行為について考える上で不可欠と言えるでしょう。その点で本書は極めて有益な知識を与えてくれます。


「アルカイダ」の脅威に気づいたコールマン捜査官

本書冒頭のエピローグは、アメリカ捜査当局の中でいち早くアルカイダの脅威に気がついたダニエル・コールマン捜査官の話から始まります。1993年、CIAからFBIに出向していたコールマン捜査官は、イスラム過激派組織がニューヨークの代表的建造物の爆破を計画しているとの情報の中でウサマ・ビンラディンという名前を始めて耳にします。

この時点ではコールマン捜査官以外に、ウサマ・ビンラディンという男に関心を持つ人間はほとんど存在しませんでした。ビンラディンについての孤独な捜査を重ねたコールマンは「アルカイダ」なる組織が存在し、アメリカへの攻撃準備が進行中であるとの恐るべき結論に到達します。しかしながら、冷戦終結後間もないこの時代、唯一の超大国アメリカに刃向う敵が存在するなど信じがたく、コールマンの訴えを真面目に受け止める人物はいませんでした。


イスラム原理主義の源流 サイイド・クトゥブ

プロローグで、コールマンの孤独な闘いの始まりに触れたのち、本書はイスラム原理主義の源流ともいうべきエジプトのサイイド・クトゥブの生い立ちにまで一気に時をさかのぼります。

サイイド・クトゥブ

サイイド・クトゥブ 出典:REPUBLIKA.co.id

サイイド・クトゥブは1906年エジプトに生まれ、教育省の官僚として42歳の時にアメリカに留学します。生来健康に恵まれず、内向的な性格であったクトゥブはアメリカ留学中に目の当たりにした享楽的な物質主義や性的退廃に嫌悪を抱き、西洋文化の拒絶とイスラム主義への傾倒を深めていきます。

エジプト帰国後クトゥブはムスリム同胞団(非合法組織として弾圧されていた社会宗教運動組織)に加わり、ナセル政権から投獄、拷問などの迫害を受けながら、その過激な思想を発行直後に禁書となる『道しるべ』などの著書に表わしていきます。1966年にクトゥブが国家反逆罪で絞首刑に処せらた後も、その思想は著書を通じて多くの「弟子」たちを生み出し、イスラム過激派組織の勃興とその活動激化に繋がっていきます。

 

イスラーム原理主義の「道しるべ」

イスラーム原理主義の「道しるべ」

 

 ※こちらの『道しるべ』は翻訳者による解説がついています。


アルカイダを育んだ土壌 - イスラム社会と西洋文明の接触

 クトゥブの思想を源流とするイスラム過激派の流れの中で頭角を現し、後にアルカイダの中心人物となったのがエジプトの医師、アイマン・ザワヒリとサウジアラビアのウサマ・ビン・ラディンでした。

ウサマ・ビンラディンとアイマン・ザワヒリ

ウサマ・ビンラディンとアイマン・ザワヒリ(右)出典:ガーディアン


アイマン・ザワヒリはウサマ・ビンラディンが9.11後に姿を消してから、アルカイダを指揮する立場となったため、ビンラディンに次ぐアルカイダのナンバー2であるかのように表現されることがありますが、実際には両者の間柄はトップとナンバー2といった上下関係のようなものではありませんでした。


二人はともに母国を出て、ソ連のアフガニンスタン侵攻に対抗するアフガン・ジハードの根拠地となっていたパキスタンのペシャワールに赴き、そこで出会ったとされています。ザワヒリはビンラディンよりも6歳年長で、子供のころは神童と言われるほど知能が高く、高等教育を受けた医師でした。クトゥブの思想に影響を受け、エジプトにいた頃から急進的イスラム主義組織、ジハード団の中心人物の一人として活動していました。

一方で、ウサマ・ビンラディンは決して頭の良い人物とは周囲からもみなされていませんでしたが、容姿に優れ、性格的に人から好かれる若者でした。サウド王家と密接な関係を持ち、大きな影響力を誇示するサウジアラビア随一の企業家、ムハンマド・ビンラディンの息子として生またビンラディンは、自信に満ちたカリスマ性を備えており、莫大な資金と強力な人脈をもっていました。

1984年にウサマ・ビンラディンはアフガン抵抗運動へのアラブ人参加を呼び掛けていたパレスチナ出身の神学者、アブドゥッラー・アッザームと共にイスラム聖戦士(ムジャヒディーン)の支援組織、MAKをパキスタン内に設立します。

MAKのトップを務めていたアッザームが1989年に爆殺された後(ザワヒリによって暗殺されたとの説も)、トップに就任したのはビンラディンでしたが、彼はザワヒリの考えに従って大きな方針転換を行います。それまでのMAKはアフガニスタン内でのイスラム国家樹立を目指して活動を行う組織でしたが、これを世界中にイスラム国家を樹立するためのジハード集団とすることとし、1988年にアルカイダとして改組します。この路線変更によってソ連のアフガニスタン撤退後に攻撃の矛先をアメリカに向け、13年後に911テロを起こすに至ります。

クトゥブの生い立ちに始まり、ザワヒリ、ビンラディンら本書登場人物たちが歩んだ幾重にも重なる長い道のりを辿ると、アルカイダという過激組織を育んだ土壌は、多数の要素が複合的に絡み合って成立していったことが見てとれます。そして、その要素の多くはイスラム社会と西洋文明の接触の中から生み出されていったものでした。

クトゥブがイスラム原理主義思想をアメリカ留学時に深化させていったことを本書は以下のような言葉で表現しています。

アルカイダという物語は、クトゥブとともに事実上アメリカという地で始まった。

 

「文明の衝突」か「近代化の過程の移行期危機」か

イスラム社会と西洋文明との接触の中から、アルカイダという組織を培う土壌が生み出されていったという話は、アメリカの国際政治学者、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』を想起させます。サミュエル・ハンチントンは1996年に出版した『文明の衝突』で、「冷戦終結後の世界では、文明の「断層(フォールトライン)」に沿って紛争が起こる」との考えを示しました。冷戦によって凍結されていた各文明間の対立が解凍され、今後は異文明の接触している「断層」の上での紛争が始まるというものです。
 

文明の衝突

文明の衝突

 

 
出版の5年後に発生した9.11テロは、ハンチントンの不気味な「予言」が恐ろしい形で的中したかのように見えるものでした。冷戦終結直前のソ連によるアフガニスタン撤退によって、アルカイダが攻撃の矛先をアメリカに向けたこともハンチントンの見方と符合しているように思えます。


このハンチントンの「文明の衝突」を「妄想である」と真っ向から否定するのがフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドです。トッドはイスラムテロの多発は単にアラブ世界の近代化に伴う「移行期危機」における現象に過ぎないと主張します。世界のどの地域でも、識字率が上昇し、社会が近代化していく過程では、伝統社会の崩壊による動揺が起こり、暴力を伴った混乱がしばしば起こるとトッドは言います(日本の明治維新はその一例)。イスラム原理主義者によるテロはその一つに過ぎず、いずれ自動的に沈静化するというのが彼の見方です。
 

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

 


クトゥブの心をイスラム教に向かわせ思想を過激化させたのは、アメリカの近代的な価値観に適応できないことへの恐怖や劣等感だったのかもしれません。
ザワヒリを過激化させたのは、急速に近代化が進むエジプトで世俗化していた政府による迫害でした。何百年もの間、変わらぬ生活を営んでいた遊牧民の地に、突如石油という巨大な富が出現し、急激な近代化の津波に襲われたサウジアラビアからビンラディンは登場しました。イスラム原理主義者達を生み出したこのような背景は、確かにトッドの言う「伝統社会の崩壊による動揺」であったように見えます。

ハンチントンとトッド両者の見方を念頭においた上で『倒壊する巨塔-アルカイダと「9・11」への道』に描かれた物語を辿ると、より思考を深めることができると思います。

 

倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道

倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道

 

 

『もっと言ってはいけない』橘玲著 を読んだ感想

もっと言ってはいけない(新潮新書)

もっと言ってはいけない(新潮新書)

 
もっと言ってはいけない (新潮新書)

もっと言ってはいけない (新潮新書)

 


あなたが生まれつき極めて知能の高い人だったとする。はじめから高度な数学が理解できたり、すぐれた読解力をたちどころに身につけてしまうような子どもだ。もし生まれた時代が石器時代だったら、おそらくあなたの知能はほとんど何の役にたたなかっただろう。そんなことより、獲物を狩ったり、敵を殺したりするために必要な身体能力のほうが重要だったはずだ。

 
もしあなたが生まれた時代が、農耕が始まって以降の時代だったら。それ以前よりは知能を役立てる機会が少し増えたかもしれない。支配層に近い一族に生まれていれば、能力を使って高い地位につけたかもしれない。だが、ほとんどの人は単なる農民の子だったのだから、高度な知能よりも農作業に必要な屈強な身体を備えた人のほうが重宝されただろう。

だが、産業革命以降の近代に生まれていたなら事情は大きく異なる。高い知能を持つ人ほどよりよい仕事を得て、より高い収入や地位を得られる社会が到来したからだ。こうした社会のことを「知識社会」と呼ぶ。とはいえ、産業革命以降もこれまでは「知識社会化」の進行はゆるやかなものだった。知能がそれほど高くない人でもできる仕事はたくさんあり、収入を得て人並に暮らすことは十分可能だった。これまでわれわれが生きてきたのはそういう社会だった。


だが近年、ICTやAIなどのテクノロジーの急速な進歩により、急激な勢いで知識社会化が進行しはじめている。高度化した知識社会では、高い知能を持つものほど社会的にも経済的にも大きな成功を手にするチャンスが増す一方、労働者が要求される知能のハードルは上がり、その変化に適応できずに脱落してく人の数も必然的に増える。われわれは知能の高低が人の人生をかつてないほど決定的に左右してしまう社会に史上はじめて突入しようとしているようだ。こうした流れは、格差と分断を生み、社会を不安定化させ始めている。本書の著者、橘玲は知識社会の高度化による社会の分断がトランプ政権誕生やブレグジット、ヨーロッパでの極右政党台頭の背景にあるとの見方をを示している。

テクノロジーの進歩速度が指数関数的に増していることを考えれば、知識社会化の潮流が引き起こす変化は、今後より一層激しいものとなっていくはずだ。今われわれは、個人としても社会としても この知識社会の急激な高度化にいかに対応していくべきかが問われ始めているのだと思う。であるならば、知能とはいったいどのようなものであるのかを理解することからはじめなければならない。知能を無視して知識社会を語ることはできないからだ。

著者は本書の冒頭でOECD主催の成人の能力に関する国際調査を紹介し、日本人の約3分の1、先進国の約半分の人はそもそも簡単な文章すら読む能力がないという驚くべきデータを提示する。その後、行動遺伝学、分子遺伝学、人類学、認知科学、脳科学などの研究成果を紐解きつつ、知能についての最新の知見を著者の考えを織り交ぜながら紹介していく。

 

 こうした話にこれまで馴染みのなかった人が本書を読めば、 書かれている内容に大きな衝撃を受けるかも知れない。あるいは、生得的な知能の差が社会格差に直結する近未来を想像して、不安な気持ちになるかも知れない。だが、そうした社会の変化への対応を考えるとき、私たちの知能とはどのようなものでるのかを知っているのと知らないのとでは大きな違いがあるはずだ。


知能の問題を語ろうとするとき、そこにはタブーが付きまとう。知能がかなりの程度で親から子に遺伝すること。教育によって知能の差を埋めることは多くの場合できないこと。民族や人種(大陸系)間で知能の大きな格差が厳然として存在すること。これらはたとえ正しかったとしても、不愉快で不都合で、時にひどく残酷なものだ。特に「リベラル」とされる人達にとって、これらは「言ってはいけないこと」であり「あってはならない」ものであった。実際に過去に「リベラル」とされる人々がこうした見方にどれほど頑強に抵抗してきかについても本書の中で紹介されている。

 

だが、そこから目をそむけて、この大きな社会変化の潮流に備えることができるだろうか。知能によって発生する格差を埋め、社会の分断化や不安定化を押しとどめるためには、社会の制度や構造を大きく変えることが不可欠であるように思える。そのためには、これまでタブーであったものをタブーとせず、直視しなければならない。だが、現状の世界を見る限りそうしたことはほとんど不可能に思われる。

 
社会がうまく変化に対応できるかできないかにかかわらず、われわれ個人は否が応でも対応を考えていかざるを得ない。相対的に知能が高く、今のところはうまくやっていると思っている人でも、テクノロジーの進化の速度を考えれば、この先どうなるかはわからない。

 本書後半では「自己家畜化」というキーワードのもとに、われわれ日本人がどのような遺伝的特徴をもっているのか、そうした遺伝的特徴はどのような経緯と要因によって形成されていったのかについての説明が提示される。この辺りの各記述に関してはアカデミック界隈の人達からすると異論の余地があるように思われるが、全体としては説得力が感じられる。高度化していく知識社会を前に、人生においてどのような選択を行っていくべきかを考えるうえで日本人にとって参考になり得る話だと思う。


著者はトランプ大統領の誕生を全く予想しておらず、2016年の大統領選挙の結果にはかなり驚いていたようだ。その点は私自身も全く同じだった。アメリカ大統領の選挙システムは比較的よくできており、予備選挙から本選に至る長い過程で、候補者は微に入り細に入り精査される。最終的には「まともな」人間しか大統領として当選できないようになっていると思っていた。


ゆえに、トランプは何かの「はずみ」で当選してしまっただけだと最近までは考えていた。「はずみ」というのは、短期間で普及したSNSの選挙戦への影響力が十分認識されていなかったとか、実際にその間隙に特定の勢力がつけ入ることに成功してしまったといったことだ。だから次回以降は「まともな」大統領に戻るはずだと。

だが、本書や著者の前著『朝日ぎらい よりよい世界のためのリペラル進化論 』を読んでいると、そうした考えは間違っているのかもしれないと思わされる。トランプのような大統領が知識社会の高度化によって生み出されたとしたならば、彼はこれまでとは全く違う新しい世界の序章における一人の登場人物に過ぎないのかもしれない。
 
どのような世界が来ようとも、いかにそれが好ましからざるものであっても、われわれは自分で自身の人生を選択していかなければならない。本書の最後の一文はこう締めくくられている。「もちろん、どのような人生を選ぼうとあなたの自由だ」

 

もっと言ってはいけない(新潮新書)

もっと言ってはいけない(新潮新書)

 
もっと言ってはいけない (新潮新書)

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朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論 (朝日新書)

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www.pokapokanahi.net

 

『一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学』cis を読んだ感想

元日にいきなりこの本が届いた。どうも年末に酔っぱらいながらスマホで何か読んでいたら、この本を誰かが推奨していたのでアマゾンで注文してしまっていたらしい。一気に読んでしまったが、株やFXのトレードで稼げないか考えている人にとっては得るものがとても大きい本だと思う。当然だが儲けられる手法が紹介されているわけではない。相場とはどのようなものなのか、その全体像に対する適切な見通しを持つ手助けを、この本の中に書かれていることがしてくれると思う。

 

一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学

一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学

 

 
著者のcis氏は株のトレードで230億円を稼いだらしく、僕は知らなかったがネットではかなり有名人のようだ。トレード手法は主として裁量のデイトレードが中心らしい。

本書冒頭は以下の文章から始まる。

子どものころから何も変わっていない気がする。その一方で、ずいぶん遠くまで来た気もする。子どもが3人もできて、普通に大人になった気もするし、まるで大人になっていない気もする。


230億円も稼いだのだから、彼は相当遠くまで来たはずだし、かなりの「大人」になったはずだ。一方で何も変わっていない気がするというのは、彼が子供のころから自身が最も得意とすることを追求し続けてきた結果がトレードでの成功であったからだろう。とても秀逸な書き出しで、大変重要なことを示唆している。

本書中、子供のころに駄菓子屋に置いてあったお菓子のくじ引を使って小遣いを稼いでいたエピソードが出てくる。30円で数字が書かれたクジを引き、一番の当たりがでたら200円分の買い物券がもらえるというものだ。ある時、彼はくじ引き2箱分を全部買って、どの数字が当たるようになっているかを調べたそうだ。そこから変換率や期待値を計算して大きく当たる確率の高い数字をつきとめ、実際に当たったら買い物券を友だちに売ってお金を稼いでいたそうだ。つまり、仕組みを観察してよく理解し、数学的に期待値の高い攻略法を考え、それを素早く実行する。生まれながらにして彼はそうしたことが得意だったし、何よりも大好きだったのだ。

しかしこれをトレードで行うのは当然ながら簡単なことではない。本書に書かれていることを丹念に読めば、いかに広範な情報をcis氏が効果的に頭の中で処理し、事前に用意されたシナリオを当てはめてトレードを実行しているのかが、朧げながらに理解できる。以前BNF氏(ジェイコム誤発注事件で有名になったトレーダー)が自分のトレード手法について語っているのを読んだことがあるが、相当広範な情報を頭の中で処理しているらしいということが読み取れた。その点では共通している。

トレードである程度資産ができてからは、cis氏は会社を作って大学時代の友人を5人を雇用し、給与を払いつつ、トレード手法を教授した上、1000万円の資金を与えてトレードさせるということもやっていたそうだ。これは伝説のトレーダー、リチャード・デニスと友人のウィリアム・エックハートによる「タートルズ」と同じ試みだ。そういえば、タートルズのリチャード・デニスもcis氏と同じトレンドフォローの手法だった。

 
タートルズについて知るにはこの本がお勧め:

伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術

伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術

 

 

cis氏はタートルズを育てたリチャード・デニスと同じように、自分が手法を伝授すれば友人たちも大きく儲けられるはずだと思っていたそうだ。ところが結果は全く違った。友人5人のうち、資金をトレードで増やすことができたのは一人だけ。しかも2年で1000万円が2400万円になっただけで、これはcis氏のパフォーマンスから考えると成功とは言えない。その他の4人のうち3人はややプラスかややマイナス、残りの1人は数百万円の損失を出したそうで、トータルではほぼ収益なしという完全な失敗だった。

トレンドフォローを教えても、実際に実行するには勇気が必要で、本能が妨げになってできないとcis氏は書いている。タートルズに関してリチャード・デニスも確か同じようなことを言っていたのを読んだことがある。


友人たちは全員cis氏の目から見て優秀な人達だったそうで、cis氏自身が直接やり方を伝授してもこの結果だったということがトレードの難しさを如実に表している。端的に言って、自分でトレードが相当得意で好きだという感覚が持てないない人は、相場における裁量トレードでお金が稼げるなどとゆめゆめ思うべきではないということだと思う。

僕が10年以上前に裁量トレードは諦めて、システムトレードに切り替えたのはそういう認識を持ったためだった。そして、僕も師匠をみつけて直接システムトレードの手法を教わることになったのだが、その話はまた別の機会に書きたいと思っている。

富というのは、人間が綱引きしている状態を数値化したものだと思う。激しいインフレが起きて円の価値が落ちない限り、自分の持っている資産は維持されると考えているなら、それは誤り。

たとえば仮想通貨などの新しい価値が生まれてくれば、自分の持っている資産は自然に薄まっていく。

本書後半に書かれていたこの部分はとても興味深い。この見方は正しくないと考える人は多いと思うが、cis氏がどのように富というものを捉えているかが垣間見えて興味深い。

新年に読むのに相応しい本であったかどうかは疑問だが、他にもcis氏の見方を知ることができる話が多数登場し、とても有益な本だと思う。トレードや投資に興味のある人には大変おすすめです。

 

一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学

一人の力で日経平均を動かせる男の投資哲学

 

 

 (追記)

つい10日ほど前に発売された本なのに、アマゾンではもう76件もレビューがついていて驚いた。トレードだけでなく書籍の売上も驚異的なものになっているらしい。「具体的な手法が書いてない」と不満げなレビューもあるようだが、そんなものが書かれているはずもなく、仮に書いてあったとしたらその手法はすぐに広まって使えなくなる。そのようなものを期待している時点で、トレーダーとし成功できる見込みは欠片もないと思う。もっと本質的なことを読み取ることができれば、間違いなく得るところが大きい一冊だと思う。

 

『タタール人の砂漠』感想・書評・レビュー ブッツァーティ作

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

 
士官学校を卒業したジョヴァンニ・ドローゴは最初の任地バスティアーニ砦に赴くべく生まれ育った町を出立した。何年も待ち焦がれた日、ほんとうの人生の始まる日だった。

砦は辺境の山の上にあり、北の国境を守るために古くに作られたものだ。はるか向こうに広がる砂漠からタタール人がいつの日か攻め入ってくるとされており、多くの将校と兵士が任務についていた。だが、実際のところはこれまで只の一度も砦が侵攻を受けたことはなかった。

未来に無限の可能性が広がっていると思える青年期にあるジョバンニ・ドローゴは、このような何も起こりそうもない砦を見て、あわてて他の任地への転出を願い出た。だが、転出の手続きが整うまでの4か月の間に何故か心変わりしてしまい、砦に残ると希望を翻してしまった。

砦の任務は毎日同じことの繰り返しだ。特別なことはほとんど何も起こらない。単調な生活に慣れきってしまい惰性の日々を送りつつも、ドローゴは心の中で常にかすかな希望を抱いていた。いつの日か敵が攻め入ってくるかもしれない。その時には将校として勇敢に闘い、名を上げて英雄になるのだと。こうした思いは、平穏な砦で形骸化した任務を日々続ける他の将校や兵士にとっても同じだった。だが一方で、誰もが判っていた。そのようなことはこの先きっと起こらない違いない。むしろ、何も起こらないと知っているからこそ、いつの日か特別なことが起こるはずだと夢想し続けることが必要なのだ。

 
4年後、ドローゴは休暇を取得し、生まれ故郷に帰ってみた。昔の友人たちは各々に仕事を持ち、軍人の自分とは異なる世界で活躍していた。彼らに会ってはみたものの、昔のように話が盛り上がることはなくなってしまっていた。それぞれに違う道を歩み始め、わずか4年でお互いにかけ離れた存在になってしまっていたのだ。恋仲になるかもしれなかった女性との会話も上手くかみ合わず、彼女に対しても心はときめかなくなってしまった。取り巻く環境と立場が変わって時が経ち、全てを共有し合っていたかに思えた人達とも心が通わなくなってしまっていることに気が付く。こうしてドローゴはひとりまたあの辺境の砦へと戻っていった。そして、かすかな希望を心に頂きながらも、日々はただ無為に過ぎ去り、季節は流れていく。気が付けば決して待ってくれることのない「時の遁走」の中で、多くのものを失っていた。

 
タタール人の砂漠』はイタリア人作家ブッツァーティによって書かれた小説だ。刊行はイタリアが第一次大戦に突入する直前の1940年だが、小説の時代は恐らく数百年前の中世だろう。「タタール人が攻めてくるかもしれない砦」という設定から、アジアに近いヨーロッパのどこかであると想像されるが、どの国が舞台なのかははっきりと分からない。遠い時代、所在不明のおぼろげな場所の物語にもかかわらず、青春時代を終えて「大人」になった者の多くは、ドローゴの生涯に自分の人生を重ねながらこの小説を読んでしまうに違いない。『タタール人の砂漠』が今なお名作として多くの人に読み継がれているのは、この物語の中に人の人生の中にある普遍的な何かが表現されているためだろう。
 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
 

 

『朝日ぎらい』よりよい世界のためのリベラル進化論 橘玲 を読んだ感想

朝日新聞が批判を続ける安倍政権や自民党に対する支持率は、いずれの世論調査を見ても一貫して若い世代ほど高い。SEALDsなどごく一部の層を除き、朝日新聞の主張は若者の心に一向に響いていないように見える。他方、書店には「朝日新聞批判」をテーマとした書籍や雑誌が並び、ネット上ではいわゆるネトウヨによる「反日朝日」への感情的なバッシングが日々行われている。日本におけるこうした「朝日ぎらい」とも呼べる現象は一体何によってもたらされたのだろか。


「文筆家の仕事は、他人がいわない主張を紹介し、言論空間にゆたかな多様性を生み出すことだ」と述べる著者は、朝日新聞の個々の報道・論説への批判に立ち入ることはしない。本書の出色の独創性は「朝日ぎらい」という現象の分析を通じて、この数十年間で大きな変化を遂げてきた世界の新しいあり様を克明に浮かび上がらせ、その姿を読者の目の前に提示して見せようとするところだと思う。

 

変化のただ中にいる者は往々にして、何がどのように変化し、その変化が何によってもたらされているのかを認識するのが難しい。著者は「朝日ぎらい」の背景にある事象を様々な典拠を示しながら分析していくことによって、読者を高い視座に引き上げ、「リベラル化」と「アイデンディティ化」の潮流によって変容が進む世界に対する見晴しを与えてくれる。

 

「リベラル化」「アイデンディティ化」の2つの潮流を引き起こしている要因は複数示されているが、中でも最大のものはテクノロジーの急速な進歩を背景とした「知識社会化」の進行だろう。AIやITCなどをはじめとする最新テクノロジーを用いる事業においては、高い知能を持つ優秀な人材にしか価値を生み出すことができない。おのずと人材獲得競争は激しいものになり、企業には国籍や人種、性別、宗教、年齢、性的指向などで社員を差別する余地などなくなってしまう。こうして「知識社会化」は、必然的に「リベラル化」「グローバル化」につながり、これらが三位一体となって同時進行していく。

他方、「知識社会化」は仕事に必要とされる知能のハードルが上がるということであり、そこから脱落するひとが増えるのは避けられない。結果、変化から取り残され、見捨てられつつある層の怒りが社会の保守化=右傾化を招き、「アイデンティテイを傷つけられた」と感じる人々の感情が、米国ではトランプの、フランスではルペンの支持拡大につながっていく。日本における「嫌韓」「反中」「朝日ぎらい」のネトウヨの台頭にも同様の背景があると著書は分析する。(*追記2)


本書後半では「リベラリズム」「リバタリアニズム」「共同体主義」といった政治思想が進化の過程で培われた人の「正義感覚」を土台としていることを、チンパンジーを使った実験などを紐解きながら説明していく。そこから更に踏み込んで、保守・リベラルの政治態度がどのような要因によって決定されるのかについての最新のアカデミズムの研究を紹介する。この部分はまだ仮説の段階であり、研究者の間でも異論があるに違いないが、非常に乱暴に要約すれば「政治志向は知能の低い人ほど保守になりがちで、知能の高い人ほどリベラルになりがちである。知能が高い確率で親から子へ遺伝するように、政治志向もまたかなりの程度親から子へ遺伝する可能性がある。そしてリベラルな人ほど経済的に成功し豊かになる傾向がある」ということで、これはある意味「不都合」で身も蓋もない話だ。現にワシントン、ニューヨーク、シリコンバレー、ボストン等に集まる世界でも最も豊かな層を調査すると、その多くがリベラルな政治志向を持っていることが分かる。

リベラル化の潮流によって変容が進む世界の中で、朝日新聞をはじめとする日本の「リベラル」のあり様はどうであろうか。 グローバル・スタンダードのリベラルはすべてのひとが自分の可能性を最大化できる社会を理想とし、より良い世界、より良い未来への進歩を目指すものだ。にもかかわらず、日本の「リベラル」は憲法問題にせよ、日本を「身分制社会」たらしめている日本的雇用にせよ、さらには築地市場に至るまで、頑強に現状の変更に反対し、既得権益層を守ろうとする守旧派に堕していると著者は厳しく批判する。さらに「あとがき」では、本来のリベラルのあるべき姿を一つ一つ描写し、それを鏡とすることで朝日新聞社ダブルスタンダードにまみれた姿を静かに映し出して見せる。

 

 橘玲氏は近年「日本は先進国の皮をかぶった前近代的身分制社会」であると繰り返し述べている。「前近代的な」という言葉は、身分差別(正規・非正規の差別、性差別、年齢差別など)の存在そのもののみならず、近代社会ではあり得ない身分差別の存在を当たり前のように受け入れ、当然持つべき疑問や憤りを持つことができないままでいる多くの日本人の意識に対しても向けられているものであろう。


その意味では、自らの「ダブルスタンダード」を顧みず、「リベラル」を自称しながら本来のリベラルにはありえない主張を行っていることに対して疑問も矛盾も感じていないかのような大手新聞社の存在もまた日本の「前近代性」の表れと言えるのではないだろうか。

 
「朝日ぎらい」というタイトルもあって、本書はこれまでの橘氏の著書とは異なる読者層を獲得するのではないかと思われる。以前の橘氏の著書はどことなく「届く人にだけに届けばいい」といった空気感の中で書かれていたものが多かったような気がする。

昨年出版の「専業主婦は2億円損をする」もそうだが、ここ数年の橘氏は、これまでの読者層とは異なるより広い層に届けるべき声を届けていこうと試みているのかもしれない。本書はできるだけ多くの人に読まれて欲しい。そして、我々がいまだ「前近代的身分制社会」に生きていることにより多くの人が気づき、その前近代性が少しずつでも解消されていってくれればと思う。

 

 

【追記1】発売直後、タイトルだけを見て「朝日擁護本」と勘違いしたとおぼしきネトウヨ達が、読んでもいないのにアマゾン内で星1つの低評価レビューを投稿するという事態が起こった。著者は困惑していたようだが、逆に本書内に書かれていることの正しさを示しているようで興味深かった。星1つのレビューを読んでから、本書を読むとある意味より面白くなるかも知れない。

 

【追記2】本書内でも引用されている社会学者樋口直人氏は、ネトウヨの中には大学生やホワイトカラーが多いと述べているが、これは聞き取り調査ができた34名という少ないサンプル数に依拠した見方であるため、橘氏はあまり重視していないようだ。困窮する米国ラストベルトの労働者や、絶望死が増加しているという低学歴白人層の姿と日本のネトウヨには乖離があるかもしれず、両者を重ねることについては異論があるかもしれない。



【備忘録】世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事 津川友介 

 

科学的な見地から本当に健康に良いことが証明されている食品とはどのようなかを分かりやすく紹介している。多くの情報が氾濫する中、信頼できる情報を見極めるのは一般の人間にとって簡単ではないが、本書は良い指針となると思われる(数時間で読める内容)。特に糖質制限を実践している人にとっては、大事なことが書かれている。

  

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

 

 

本書で言う「健康に良い食品」とは、脳卒中心筋梗塞、がん、糖尿病などを発症するリスクを下げる食品のことを指す。逆に「健康に悪い食品」はそうしたリスクを高める食品のことを意味する。


以下は単なる個人的備忘のための要約。本書内ではエビデンスの紹介(エビデンスの強弱も示されている)も含めて解説 がされているので、興味のある人は読まれることを強くお勧めします。

 

▼健康に良いと科学的に証明されている食品

  1. 魚 
  2. 野菜と果物(果実ジュース、じゃがいもは含まない)
  3. 茶色い炭水化物(玄米、蕎麦、全粒粉のパン)
  4. オリーブオイル
  5. ナッツ類

▼健康によい可能性が示唆されている食品  

  1. ダークチョコレート(砂糖入りは不可)
  2. コーヒー
  3. 納豆
  4. ヨーグルト
  5. 豆乳
  6. お茶

 

 ▼健康に悪いと科学的に証明されている食品 

  1. 赤い肉(牛肉、豚肉のこと。鶏肉は含まない。ハム、ソーセージなど加工肉は特に悪い)
  2. 白い淡水化物(白米、うどん、パスタ、白いパン、じゃがいも、ラーメン)
  3. バターなどの飽和脂肪酸

 

 ▼健康に悪い可能性が示唆されている食品 

  1. マヨネーズ
  2. マーガリン

 

糖質制限、炭水化物について 

  1. 炭水化物の全てが悪いのではない。「健康に良い炭水化物(茶色い炭水化物)」と「健康に悪い炭水化物(白い炭水化物)」がある。前者は積極的に摂取すべき、後者は摂取すべきではない。

  2. 「茶色い炭水化物」は食物繊維が多く、「白い炭水化物」は少ない。極限まで食物繊維を減らしたものが砂糖などの糖。白い炭水化物は砂糖に近く、体内で糖になるので本質的に砂糖と同じ。

  3. 糖質のかわりに肉はいくらでも食べて良いと主張する医者のアドバイスは聞くべきではない。明らかに間違っている。(牛肉、豚肉、加工肉は摂取すべきでない)

  4. 白米は食べれば食べるほど糖尿病のリスクが高まる。白米は全く食べないのが理想。(ただし、ガンのリスクと白米は無関係)

 

▼その他

  1. 日本食が健康に良いというのは誤ったイメージ。塩分、糖質が多い点で健康に良くない。健康に良い食品と言えるのは「地中海食」

  2. 塩分摂取量は減らすべき。血圧を上げ、脳卒中心筋梗塞のリスクを高める。
      
  3. ハム、ソーセージ、ベーコンなど加工肉は非常に悪い。大腸がん、脳卒中心筋梗塞のリスクを上げる。
     
  4. 卵は1日6個までとする。(糖尿病、心不全のリスクが上がる)

  5. 大人は乳製品は控えめにすること。過剰摂取は前立腺がん、卵巣がんのリスクが高まる。

  6. 果実ジュースは糖尿病のリスクを上げる。果物事体を食べることはリスクを下げる。健康の観点から両者は全く異なる。

  7. 野菜ジュースについては、明確な研究はないが果実ジュースと同様と考えられるので、ジュースではなく野菜そのものを食べるべき。


▼疑問点

本書では、がん、脳卒中心筋梗塞、糖尿病のリスクを下げる食品を良い食品としているようである。確かにこれらの疾病は日本人の死亡原因の半数を占めている。糖尿病に関しては、認知症心筋梗塞などのリスクを高める非常に怖い病気である。一方で、これらに該当しない病気については、本書の範囲内では無視されているのかもしれない。